早くも帰国してひと月がたってしまいました。心配していた日本の学校への適応もスムーズにいって、娘たちは二人とも元気に学校に通えています。
1年間、子どもたちが現地の小学校に通うなかで、日米で小学校の様子がだいぶ違うなと思いました。そのなかでも、小学校の先生の働き方はかなり異なっていて驚くことが多かったので、まとめてみたいと思います。
学校が先生を採用・転勤なし
学校がはじまってすぐにクラス会のようなものがあり、保護者が担任の話を聞く機会があったのですが、そこで驚いたのが、先生たちが口々に「この小学校で教えて20年になります」「別の小学校で6年、そのあとここでもう14年になります」などということ。最初は「教師になって20年」と言っているのかと思いましたが、そうではなく「この小学校に」20年いるらしいのです。
アメリカでは(といっても州や学区が違えばやり方が変わるので、私たちが過ごした学区では、ということですが)、各学校が教師の求人を出し、そして教師たちは「この学区のこの小学校で教えたい」と応募先を吟味して応募してきます。いま教えている小学校がいまいちだな、と思えば、教師たちは次年度に向けて転職(転校)活動をして、自分の理想の小学校のポジションを取ろうとします。
私は大学のプレゼンの授業で、日米の小学校の違いを題材に選んで発表したのですが、教授にテーマを相談しに行ったとき、「アメリカでは先生が学校を変わらないんですね。日本では教師は約5年ごとに市内の小学校を転々とするので、驚きました」と言ったら、「え、どういうこと?」「教師が自分の教える学校を選べないの!? え…??」と絶句されました。日本で育った身としては教師の転勤は当たり前のことと思っていたのですが、そういわれてみれば、自分の職場を自分で選べないというのも不思議な話ですね(まぁ、日本ではサラリーマンも転勤が当たり前ですが…)。
「転勤がない」ことの良しあし
「自分で自分の職場を選ぶ」という観点では、学校ごとに採用、本人が転職活動しない限りはその学校にいられる(クビにならなければ)、というのは良いことに聞こえるかもしれませんが、悪い面もあります。それは評判の悪い学区・学校に人員が集まらないこと。
アメリカでは貧富の差が大きいことはよく知られていますが、裕福な人々が住むエリアと、貧しい人々が住むエリアは露骨に分かれています。当然学区としての教育レベルは前者が高く、後者が低いということになります。貧しいけれども子どもの教育に力を入れたい、と思っている家庭があったとしても、それらレベルの高い学区の家賃はとてつもなく高く、住むことは不可能です。
働きやすさや環境、給料の点から、教育レベルの高い裕福な学区を望む教師が多いので、教師は大学卒業後経験を積みながら、そのような学区を目指して転職を続けていきます。そのため、貧困層が多く住む学区では、大学を卒業したての全く経験のない教師くらいしか雇えず、彼らも1年後にはよりよい学区を目指して去っていきます。教育のレベルが低い → 質の低い教師しか雇えない → 教育レベルが下がる という悪循環から、永遠に抜け出せない仕組みともいえると思います。
有無を言わさずに教師を転勤させる日本の仕組みはなかなか乱暴ではありますが、少なくとも学校間での教師の質を一定に保つ役割は果たしているようです。
学年固定
もうひとつの大きな違いが、アメリカでは担当する学年が基本固定であること。日本では、6年生を教えていた先生が翌年1年生の担当になるというのは珍しいことではありませんが、アメリカでは、1年生を教えると決めたらずっとその学年を教え続けることが多いようです。実際、私の娘たちの先生は、それぞれ「3rd grade を14年やっています」「もう1st grade を教え続けて20年になるのよ」とのことで、その学年の教育については専門家、という感じです。
よく考えたら、小学6年生と小学1年生ってほぼ別の生き物ですもんね…。6年生に対する教え方と1年生に対する教え方とでは全く異なるハズで、それを考えると毎年担当する学年が変わる日本の先生というのはすごく高い能力を求められているなと思いました。
ちなみに、アメリカの先生が学年を変えるときは、教師の希望で学年を変わる場合には空きが出た枠に応募する形になっているようです。学校の事情で変更を求められることもあるようで、たとえば子どもたちが通った学校では 3rd grade だけ1クラス多かったのですが、その子たちが 4th grade に上がるとき、4th の担任が足りなくなるので、3rd を教えていた先生がそのまま 4th に持ち上がったということがありました。学校単位で教員の採用をしているので、人事配置も学校が責任を負っており、こういう会社都合の人事異動みたいなこともあるようです。
先生の仕事は「教える」だけ
教師の役割分担が極めてはっきりしているのも、日本の学校と違うなと感じたところです。アメリカの学校では、クラス担任(Classroom Teacher)の他に、教員補佐の先生もいます。子どもたちの学校で見た限りは、教員補佐(Helper Teacher)の先生たちはたいがいが「近所のおばちゃん」という風情でした。資格とか詳しいことはわかりませんが、おそらく classroom teacher よりは求められる学位などのハードルが低いのだと思います。
教員補佐の先生たちのお仕事は、授業中の手助けの他に、例えば休み時間の子どもたちの監督とか、登下校時の誘導とかもします。日本の学校と違うなぁと思ったのは、休み時間というのは子どもたちだけでなく、クラス担任の休憩時間も意味しているということ。休み時間になると先生はさっさと自分の部屋に入り(子どもたちの学校では、各教室の隣にクラス担任のオフィス(個室)がくっついていました!)、休憩します。その間、教員補佐の先生たちが子どもたちを見守ってくれるわけです。
事務的なことは事務の担当がやるし、給食は給食専門の職員と保護者ボランティアがやる。掃除は当然清掃業者がやる。というわけで、クラス担任の仕事は文字通り「教えること」だけなんですね。クラス担任は、授業が終われば子どもたちの下校を待たずにさっさと帰っていきます。子どもたちの学校は金曜日は半日授業だったので、特に金曜日は先生たちがウキウキと一目散に帰っていくのを見て、日本とはずいぶん違うなぁと思ったものです。
教師といえば「薄給」
こうやって書いていると、アメリカの先生恵まれているなと思えてしまいますが、アメリカでは先生と言えば給料が非常に安いことで有名です。「やりがい搾取」なんて言葉がありますが、まさにそんな感じで、先生をやっている人はお金が欲しいんじゃなくて、教えることが好きでやっている(好きじゃなきゃできない)という常識が浸透しているように思います。
それと関連するかわかりませんが、教員の男女比は、女性が圧倒的に多数です。子どもたちの学校は全校で19クラスありましたが、その中で男性のクラス担任はおそらく2名しかいなかったのではないかと。日本の小学校に比べると、圧倒的に「女性の職場」という雰囲気が漂っています。私の通っていた大学の、ちょっと活動家っぽい先生は、「教師は女の仕事だから給料が上がらないんだ!」と非常にお怒りでした。教育は国の根幹で大事なことはわかっているけど、なかなか予算や人員が行き届かない、という悩みは、形は違えどどの国も同じなんだろうなと思います。
まとめ
いろいろと違う日米教員事情。どちらも一長一短、どちらが優れているとは言えないですが、お互い参考になりそうなものはあるような気がしました。教育が大事なのはどの国にとっても同じで、教育の現場で危機が表面化しているのも日米共通です。日本もアメリカも、どちらもこの先ずっと、子どもたちにいい教育を与えられる国でいられますように。